南の島の蝶の話(虫の命を奪うということ)


 ★秋の八重山は蝶の季節

日本の最南端である八重山諸島を満喫しようとすればやはり夏という印象であるが、寒さを避けて冬季にやってくる観光客も多い。実は八重山諸島の観光客は冬が一番多いのである。もっとも秋冬の旅行者はパッケージツアーがほとんどで、わが西表島には日帰りオプショナルツアーとしてやってくるだけなので、主な観光地、すなわち仲間川や浦内川の遊覧船・由布島牛車・星砂の浜等ばかりが混み合い、あとはいたって静かなものである。

さて、秋たけなわの頃、つまりこのあたりの島々では台風シーズンも終え、海辺の観光客も姿を消して離島本来の静けさを取り戻した頃に、例年謎めいた人物たちが続々とやってくるのである。彼らの多くは中年以上の男性であり、一様に紳士の風体である。彼らは石垣島や西表島、あるいは波照間島や与那国島など各々の目的の島に降り立つとまずレンタカーを借りる。レンタカー屋の親父も心得たもので、「あんまり無茶しないでね」などと声を掛けたりしている。そう、彼らこそが「蝶屋」と呼ばれる採集者たちであり、その目的は迷蝶なのである。

迷蝶とはそもそも日本には生息していない蝶が何らかの原因で国内に飛来した場合にそう呼ばれるものである。日本における迷蝶の記録のほとんどが秋の八重山諸島から報告される。それは夏の台風によって台湾やあるいは遠くフィリピンから運ばれてきた蝶が国内で最初にたどりつく土地が八重山であることに他ならない。それらの蝶はそもそもの出発地である海外ではごく普通に見られる優勢な種である場合が多いのだが、何はともあれ日本ではたいへん珍しい蝶だということになる。

これらの迷蝶が本来の生息地を遠く離れた八重山の島々で生き抜くことは困難である。ほとんどの場合、冬の低温に耐えられずに全滅するのが普通であるが、中には昨今の暖冬傾向に乗じて冬を越し、発生を繰り返す奴らもいる。ただし、蝶の幼虫の食草は種ごとに限られており、その食草が八重山の島々に自生していなければ、やはりあえなく全滅となる。まことに厳しい話ではある。

さて、日本国内に分布する蝶の種類は約250種。うち、極めて採集が困難なものはほんの数種にすぎない。もしあなたが今から蝶の標本を真剣に収集するようになったとしたら、数年のうちに行き詰まってしまうことだろう。オスとメス、春型と秋型、地域亜種、劣性遺伝など、あらゆる形態の変化を求めていくにしても限りがある。そこで「迷蝶」なのである。何せ迷蝶は「別種」であり、しかも「国内産」である。その価値たるや別格といえるのである。たとえその蝶が台湾の平地でごくありふれた蝶であったとしても、採集地○○島という国内産標本ラベルの価値は別格なのだ。そんな迷蝶たちを採集するべく、秋の八重山には全国から真剣そのものの蝶屋さんたちが目をキラキラさせながらやってくるのだ。


 ★蝶屋さんたちのこと

蝶屋さんたちは群れて行動することをあまり好まないようだ。それは、ふわりと風に乗ってやってくる数少ない蝶を仲間同士で奪い合うことにナンセンスを感じるのか、あるいは採集という行為自体が理由の如何を問わず悪とみなされる昨今の風潮を反映してつつましやかに行動しているのか、その辺は定かでない。おそらく両方の要素があるのだろうと思われるが、欧米のように博物コレクションという概念が社会的にも高く評価されている地域と異なり、日本においては現在もなお「収集」という趣味に対して子供っぽいとか変わり者、果ては偏執的といったような印象が付きまとっている。もちろん収集が文化などとは誰も思っていまい。そのことは採集者である蝶屋さん自身が一番よくわかっているから、家族に馬鹿にされ、職場に嘘をつき、ひとりこの日本の果てまでやってくるのであろう。

蝶屋さんの泊まる宿というのはだいたい決まっている。ここ西表島でも西部・東部にそれぞれ名の知れた宿がある。仲間が集えば情報の交換に忙しい。やれ高那(島北部の地名)でガランピマダラが採れただのウラベニヒョウモンが時々やってくるだの、今年はそこいら中でウスアオオナガウラナミシジミが大発生しているだの、ナミエシロに混じってカワカミシロチョウやタイワンシロチョウが飛んでいるから要注意だの、あるいは白浜(島西端の地名)のテツイロビロウドセセリは時期的にもう遅いだの、シロウラナミシジミならやはり多少手間でも川を渡ってデリス(食草)の群落まで行くべきだの、定着しつつあった南風見田(はいみた:島東南端の地名)のカバタテハは生息地の食草群落がキャンプ場拡張のために破壊されて見られなくなったたの、果ては石垣島で珍蝶××ジャノメ(筆者健忘症につき失念)が偶然通りかかった甲虫屋によって採集されたなどと呪いの声まであがる。いやはや皆さん実に詳しいのだ。もちろんこれらはどの本よりも正確で新鮮な情報なのである。

ただ気になったのは採集地についてである。ほとんどすべての採集者は特定の本を参考にされているのである。その本はひと昔以上前に出版された全国の蝶採集地をガイドしたものだが、何せ「宮古・八重山諸島編」だけで独立して一冊になっているほど詳細に解説されており、イラスト地図まで付いているという便利物なのである。この本は発行当初すぐに「自然破壊を助長する」などと新聞に叩かれ、再版されることなく絶版となったものだが、この本が今も採集者のバイブルとして生きているのである。

ところが実際には本に掲載していないところにも蝶はいるわけで、特に西表島ではこの10年ほどの間に次々と農地整備が行われて山間に道路が延びているため、新しい採集地も当然にあるはずだが、あいにく蝶屋さんたちは時間をかけて新しい採集地を開拓する気配はないようだ。したがって、ガイドに掲載された特定の場所にばかり人が固まっており、他の場所ではまったく見られないという印象を受けた。これは、蝶の採集のみを目的に島を旅する人々に顕著な傾向であると思われる。

さて、蝶屋さんはまず軽四輪を借りる。これは、原付などと比べると網などをすぐに取り出せるし、よそ見もしやすいし、突然やってくる雨も避けられて便利なことこのうえない。ただ、もったいないことにほとんどが一人一台なのである。先にも述べたように、蝶屋さんの行く場所はほとんど同じなのだから相乗りにすれば楽なのだが、これは島に上陸してすぐに借りる手続きを済ましてしまうのか、あるいは旅行前に予約してしまっているからだろう。いずれにしてももったいない話である。結果、島のレンタカー屋などはそう何軒もあるわけではないので、カルトな採集ポイント(たとえばテツイロビロウドとシロウラナミの採れる白浜奥の墓地)にナンバーの隣り合った同車種の軽四が何台も並んで駐車するという異様な光景が見られたりするのだ。しかしまあ考えてみれば、石垣島御宿泊の団体様ツアーに比べればはるかに島に金を落としているわけで、それはそれでよいのかも知れない。(2002年11月初旬の記録より)


 ★「採集」の是非について

昆虫は地球上において最も繁栄を謳歌している生物種である。その理由は「小さな体と短い寿命」ということに尽きると思う。鳥や獣が一匹あるいは数頭の子供を生み育てるだけの時間と餌があれば、昆虫はその何万倍あるいは何億倍にも増えることができる。つまり一匹の昆虫はちょっとしたことですぐに死んでしまうが、死んでも死んでもその何倍も生まれてくるというのが特徴なのだ。かつて、採集によって絶滅した昆虫は一種もないのである。では、何故減少し続ける昆虫がいるのだろうか。

さすがの昆虫も棲み家や餌がなくなれば生きてはゆけない。すなわちある種の昆虫が減少しているとすれば、その原因は生息環境の破壊にあるということが推測される。しかし、そうした昆虫を守るために採集を禁止するというのは保護として適切といえるだろうか。先にも述べた通り、昆虫は生息環境さえ整っておれば何万倍にも増えるのが普通であるのだから、昆虫が減少しているのであれば、その原因を明らかにして適切な対処をしない限り、採集をしようがしまいがその昆虫は減る一方である。

仮に、ある地域で全国的には珍しいといわれる蝶が減少しているという報道があったとする。それに敏感に反応した町は自治体を挙げて保護に乗り出す。早速保護条例を制定し、県には天然記念物の指定を申請する。昨日まではそんな虫がわが町に生息していることも知らなかったであろう地元住民は乱獲に目を光らせ、遠方からの見学者のために生息地の近くに駐車場を整備し、遊歩道までも取り付けることだろう。この発想は昆虫の保護というよりは町の名物に名を借りた商売といえる。あくまでこれは仮の話だが、似たような事例は全国津々浦々枚挙に暇がない。果たしてこれが減少する昆虫の保護に役立つのだろうか。たとえこの地が隠れた穴場として採集者に知られており、発生期には何十人もの採集者で賑わっていたとしても、生息する蝶そのものに対するダメージは観光用の駐車場や遊歩道には比べるべくもないだろう。

この30年ほどの蝶の種ごとの数の増減を考えてみても、最も減っているのは平地の草原性の蝶であり、とかく保護が言われる高山蝶では断じてないのである。よくよく考えてみれば誰にでもわかることだ。高山は昔も今も最も自然が残されている地域であり、一方平地の草原はゴルフ場や別荘地などにより開発され尽くしたのである。生まれてこのかた小さな虫の命のことなど考えたこともないような人たちが声高に自然保護を訴え、明らかに間違った施策をしているのが現実だということを知るべきである。その土地のその蝶を本当に守りたいのなら、その地の蝶を熟知している採集者から意見を聞くべきであろう。本来採集者は蝶の敵ではないのだ。

虫も殺さぬ善人面をした人たちから「人でなし」などと罵られるような状況はやはり尋常ではない。幼い日、虫かご一杯に捕ったセミやチョウ。大切に持ち帰った虫を放してやることができずに虫かごに入れたまま全部死なせてしまったことはないだろうか。昨日はあんなに元気に網戸を登ったりして一緒に遊んだ虫たちが、朝目覚めたら動かなくなっており、親に叱られながら捨てた記憶。しかし懲りずにまた捕りまた殺すことを繰り返した日々。子供は虫を殺して殺して殺しまくって命の大切さを知るものではないのか。捕虫網の代わりにルーペを首からぶらさげて虫の観察会にいそしむ子供は、きっと将来直接手を下さない代わりに根こそぎ環境を破壊しておいて虫たちを全滅させ、そのことに気づきもせず平気でいられるのだろう。

無論常識に反するような行為もある。昨今のクワガタブームに便乗した幼虫採集のあり方などは明らかにマナー違反である。このような一部の不心得者たちの行為により採集者全体が不利益を被るのはまことに残念なことだし、採集者には反省を促したい。また、聞くところによればついにはクワガタブリーダーなる者まで出現しているようだが、商売として成立しているのだろうか。ブームはいつだって一過性のものであり、いつまでも続くものとは思えない。継続して安定収入が得られるのであれば、まず間違いなくヤクザが進出してくるのが常である。今のところそのような話は聞いてないし、割に合う仕事だとも思えない。特に標本製作の手間は好きでないとやれないものである。そして需要は限られており、売るために捕り続けるということはあり得ないのだ。

いずれにしても、昆虫の保護は情緒に訴えるばかりでは無理なのである。あくまで理詰めで考えるべきであり、もうそろそろ「心ないマニア」などという的外れな仮想敵に責任を押し付けるのをやめ、その昆虫が減少した根本的な原因に正面から向かい合うべき段階なのではないだろうか。
 


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